こういったやり方をじっくりと身に付けられるのは、やはり大学・専門学校ではないか。ここでは、大学を主として語りたい。というのも、専門学校の詳しい実情をよく知らないからだ。
思うに、大学において、社会ですぐに実践できる実学(経済学部なら簿記など)を重視せよという近年の風潮は、目先の利益にとらわれすぎである。確かに、企業の即戦力となる実学の類を学んでほしいというのは、企業の持つ性質からしてもっともなことである。しかし、それを大学教育の中核に据えるというのは、筋違いだろう。
大学とは、一個人の思考の鋳型を造り上げる空間なのだ。社会は、その鋳型を通じて課題を乗り越えていく場だ。よって、現行の大学教育は長い目で見れば、企業に資する最も基礎的な能力(思考の鋳型、その活用法)を育て上げている。
長いスパンで成長し続ければ、道は開けてくる。私は常々そう考えてきた。先日、ある本を読んで、私はこの考えをその著者に賛成された気がした。ライフネット生命の代表取締役会長兼CEOの出口治明氏が書いた『働く君に伝えたい「お金」の教養』(2016、ポプラ社)という本だ。自分の好きなことを続けたり、学びたいことを学び続けたりすることで、自分の価値を上げれば、それが成功へと結びつく可能性を、出口氏は説く。
そうなのだ。他人から急かされ外圧にさらされる成長は、身につかない。一瞬で身体から抜け落ちる。無駄かもしれない、遠回りかもしれない道でも、それが自分の信じた道ならば進み続けてみるといい。その途中で出会った人や出来事はきっと自分の財産になる。その出会いは、無駄ではないから。
企業経営陣はどうか5年、10年先のエース社員を雇うという、「人間への長期投資」の意味合いで、新卒学生を選考し、採用していってほしい。
そして学生諸君は大学を出ても、教養によって自らを高める「自分への投資」[i]を怠らないでほしい。
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